体重計、体組成計などの計測機器による「健康をはかる」取り組みから、「健康をつくる」サービスへと事業を拡大しているタニタ。創業家の3代目社長である谷田千里氏に、その変遷の背景にあった思いや考えを聞いた。
「商品をつくるだけではいけない」 開発と並行し、宣伝の重要性を示す
1944年に通信機部品製造を主な事業として設立したタニタ。その後、体脂肪計や体組成計といった計測機器の自社開発・販売により事業を大きく拡大していった。
谷田千里氏が3代目社長として就任したのは2008年のこと。就任当時、谷田氏は社内の様子に危機感を抱いていた部分があると話す。
「1990年代に発売し、ヒットした『体脂肪計』の特許が切れて数年が経過し、競合商品がシェアを伸ばしていました。しかし、社内では体脂肪計の成功体験があったこともあり、この状況を危ぶんでいる空気感はあまりありませんでした。これまで培ってきた技術力、プロダクトの力に誇りを持っていたこともあり、『商品を出せば売れるだろう』という気持ちもあったと思います。確かに当社はプロダクトに強みを持っています。しかし、商品を世に出すだけでは売れない時代。どんなに良い商品であっても、知ってもらえなくては売れるわけがありません。商品の開発と並行して、広告やマーケティングにも力を入れていく必要があると感じていました」(谷田氏)。
このように、谷田氏が「まずはタニタを知ってもらわなければならない」と考えていたタイミングで、同社の社員食堂がテレビのバラエティ番組に取り上げられることに。その後、『体脂肪計タニタの社員食堂~500kcalのまんぷく定食』(大和書房)が刊行され、「(社員食堂のメニューを)食べてみたい」という膨大な生活者からの声が集まったこともあり、「丸の内 タニタ食堂」の開店へとつながっていった。
「はかる」から「健康をつくる」へ エポックとなった2つの出来事
「当時、書籍の刊行や食堂のオープンは事業というよりは、広告宣伝的な意味で捉え、取り組みを始めました。成功するか否かは明確にはわからなかったのですが、社長に就任して早めの段階で新しいことを始め、自分の通信簿のようなものが欲しいとも考えていました。失敗したとしても、自分に何ができて、できないのかを明確にしたかったのです。そのため食堂の...