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広報担当者の事件簿

廃れた地方の温泉地 再生に向けた広報施策〈中編〉

佐々木政幸(アズソリューションズ 代表取締役社長)

    【あらすじ】
    温泉地として知られていたものの、バブル崩壊後は人の流れが途絶えてしまった石鍋市。誘客に悩んでいた観光協会の大佐古茂と姫川雄太のもとに、「3Dアーティスト」という集団で活躍する朝日奈玲がある提案を持って訪れる。その企画に大きな可能性を感じた大佐古は、商店街組合の理事たちに提案するが⋯⋯。

    ©123RF.COM

    今ならまだ間に合う

    「どこまでできるかだな」大佐古茂が呟くように吐き出す。ついさっきまで座っていた朝比奈玲の姿が浮かんでくる。「二月まであと数カ月しかないですからね」打ち合わせテーブルから自席にもどると川北夕子が頬杖をつく。

    石鍋市に訪れる観光客が爆発的に増えたバブル期、すべては温泉の恩恵によるものだった。市も、温泉商店街や観光協会も、観光客が押し寄せることに慣れて接客が雑になり、誰も既存のサービスや商品をより良くしようとは考えなかった。

    気づけば賑やかだった商店街からは人が消え、看板は錆びつき、代わり映えのしないお土産用の商品が並ぶ。時代に取り残された温泉地のレッテルまで貼られるようになっていた。

    「どんなに時間が足りなくても、こうなったらやり切るしかない。彼女たちに賭けてみようと思う。どうだ?」大佐古が二人を見やる。観光協会は事務局長の大佐古、事務課長の姫川雄太とアルバイトの川北の三人しかいない。「選択肢がないですからね」「そうじゃない。彼女たちの提案内容が純粋にいいと思ったんだ」姫川の消極的な姿勢を打ち消す。

    「彼女たちの案は街全体を巻き込んで面白いと思いましたよ」川北も賛同する。姫川だけが浮かない顔をしている。「何か疑問でもあるのか」「いや、本当にできるのかなあ。我々がやるには規模が大きすぎて実感がわかないんです」「リスクは確かにある。だけど、このまま時間だけが過ぎていくのを待つわけにもいかない。商店街の人たちの生活がかかっている」大佐古が真剣な眼差しを送る。

    「理事の人たち、納得しますかね」姫川の不安は理解できる。「納得してもらわないと前には進めない」「やるしかなさそうね、姫川さん」大佐古の決意に川北も同調する。「⋯⋯そのようですね」姫川が息をひとつ吐く。向かいの土産物店の店先に、温泉商店街理事長の泉田温夫の姿が見える。「ちょっと行ってくる」大佐古が扉の向こうに視線を送った。

    「こりゃすごいな」泉田が唸る。街全体を巻き込むものだった。朝比奈の提案書を一ページずつ丁寧に捲っていく。「これが本当に実現できるとしたら街に灯りが戻ってくるかもしれませんね」“起爆剤”や“活性化”といった刺激的な単語は使わないようにした。安っぽい言葉の羅列で期待を持たせるようなことはしたくなかった。

    「大佐古さんはこの提案をどう思ってる?」泉田が眼鏡ごしに覗いてくる。「温泉街の再興には、行政はもちろんですが地元の方々の協力が必要です。誰かが“やってくれる”じゃなくて、私が“やる”という気概が必要です。しかし、自力では現状どうしようもない。そこで外の力を借りようと思ったわけで、市から予算ももらいました。税金ですけど⋯⋯」

    「街の再興にかかわってくるわけだから、ドブに捨てるようなことはできませんね」泉田が腕組みをする。「そこで、これです」大佐古が資料に手を置く。朝比奈らの提案内容はこの街の人々にとって斬新なものになると思った。

    ①小中学校の校庭で千人の足湯イベントを開催

    ②通りをLEDキャンドルで埋め尽くす、その数一〇万個

    ③街を三ブロックに分けストリートコンサートを開催

    ④「お土産品が売れないんです!」「宿泊客が少ないんです!」「温泉なんか入らなくていいんです!街を歩いてみてください。その後に余力があったら温泉で癒されてみてください」といった自虐コメントを至る所に掲示

    ⑤古くなっているホテル、旅館の外壁を温かい灯りで照らし、ノスタルジックな雰囲気を前面に出す

    項目は二七もあり、メディア対策は既存メディアには頼らずSNSでの徹底した発信を行うとあった。イベントの二カ月前からオフショットの撮影を開始し、日々SNSにアップしていくらしい。街の魅力を伝えようとする戦略は誰でも思いつく、むしろ街の廃れ具合をどんどん発信していきながら、イベントの目的を具現化していくのだという。

    「実績はかなりありますし、提案内容も予算内です」「推したいということですね」泉田が口角を上げる。「彼女たちにかけてみようかと。いかがでしょう」店のテーブルで泉田と向かい合った大佐古が体を突き出す。思案顔の泉田が腕組みをする。「大佐古さんがそこまで言うなら賭けてみましょうか」「理事の方々には私から個別に伺います」「忙しくなりますね」柔和な顔に戻った泉田が微笑んだ。店を出た大佐古が、商店街のアーケードの先に視線を向ける。いつの頃からか使われなくなった火の見櫓(やぐら)が錆びついた姿で立っていた。

    「沈んでいる街は日本中にいっぱいあります。超高齢化、少子化のこの国で賑わっている場所といえば東京や大阪といった大都市圏と有名観光地ぐらいです。ここを含めて地方都市に観光客を惹きつけるのは、土地の方々の本気さとアイデアです。そうでなければ未来はないと思っています」穂戸田大我が静かな口調でゆっくりと話す。的を射ていた。

    「私たちが生まれる前は全国の温泉街が社員旅行や慰安会で...

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